フヅキシチカひきこもりBLOG

こころの置き場所。

カテゴリ: テレビ

石川さんは「ひきこもりは幼虫やさなぎのまま、社会に出た感じ」って言ってた?忘れた。

「ネットゲームに依存するならネット回線切ればいいんじゃないか」なんて言えるのはちゃんと成虫になってるからだよね。
ネット回線切ったあとどうなるかなんて想像することもない虫。

家族との関係も良好で本当にうらやましい。成虫になる前に「家族」から手足引きちぎられることもないし、羽をむしり取られることもないんだわ。

いや、私がダメなだけよね。誰かに手足を引きちぎられても、羽をむしり取られても、踏ん張って生きてるんだよね。

でも、「普通」がうらやましい。「平凡」がうらやましい。
誰もが何かを抱えてるなんて思わなきゃいけないのかしら。
でも、色も形も重さも違うよね。
生まれながらに不平等。
平等なのは「生」と「死」だけ。
そのときの状況すら不平等だもの。
生まれた家も、生まれ持ったものも不平等。
憂うつ。



支援者として、この人はちゃんとしてる人な感じ。すごく丁寧な支援。
寄り添って、一緒に行動して、挑戦させる。
彼らが挑戦を促されて行動に移すのは、石川さんに対しての信頼があるからだよね。
前向きな人たちだね。経験が自信につながるって

石川さんの影響で前向きになって、働けるようになって、それで、一人になったときに我に返ることはないのかしら。
石川さんの空気に当てられてるのと違う?継続的に来てくれないと効果がなくなりそう。いずれ完全に会うことがなくなっても大丈夫なのかしら。



ではまた、次の記事で。




長期ひきこもりの多様な自立: 最近の一般就労事例から 長期ひきこもり支援レポート CVN家族教室

見た人、いるかな?
気になったのは、人の心をまんじゅうに見立てた「まんじゅう理論」。

本人のつらさや苦しさをまんじゅうのあんこに、長所や趣味、がんばりなどを皮に例えたもの。あんこに注目して小さくすることを考えるのではなく、皮の部分を肯定して厚くすることでふかふかのまんじゅうにしていく……というものらしい。

なぜ、まんじゅうに例えたんだろう。皮が厚くなるまんじゅう……おいしくなさそう。
おにぎりがいいよ。米はおいしい。真ん中も梅やツナマヨ、明太子とかいろいろあっておいしいよ。
大福は?大福ならあんこを包む餅がどれだけ厚くなってもおいしそうだよ。

食べ物で例えるから食べることを想像してしまう。そうなるとやっぱり、皮が厚くなるまんじゅうは変に感じる。
そういうことじゃないって?でも、皮が厚くなるまんじゅうは、ちょっと。いずれにしても、賞味期限が……。どうして食べ物に例えるの?ああもう、そんなこと考えなくていいのに。バカだ。



仲のいい家族ならいいよね。そして、本人じゃなく家族側がよかったよ。

主婦のひきこもりはやっぱりちょっと違うな。お金の心配がないもん。




ではまた、次の記事で。





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